2021年2月11日木曜日

聖地巡礼こぼれ話・2

  おはようございます。

頼まれた訳ではないですが第2弾、今回は直島のこぼれ話です。

どうぞお付き合い下さい。


・羽依里くんの苗字の由来?

家プロジェクトのひとつである「護王神社」を過ぎて、さらに奥へ進むと見えてくる史跡。


それが「高原城址」です。

島の歴史に詳しい方に話を伺ったところ、高原氏という豪族が直島・男木島・女木島を治めていた時期があったそうです。備前、備中、讃岐の豪族が次々と没落していく中で秀吉の警備を務めた恩賞で三島の所領を許可され、江戸初期までの90年間を生き抜いた家柄なんだとか。直島そのものも江戸時代には幕府の直接支配を受けた土地であり、そこを任された高原氏の評価の高さが伺えます。

そして、その高原氏が海運を監視する意味合いもあって山上に築城したのが高原城だそうで。今現在も城跡に立つと瀬戸内を一望することができます。

では、ようやく本題。

羽依里くんの苗字と結び付けた考えに至った理由。

それは高原氏の所領がそのまま聖地の存在する島だからです。

紬と静久の男木島、鴎の女木島、そしてしろはと蒼の直島。この三島がまさに高原氏の所領。一切の過不足もありません。驚くほどピッタリと当てはまります。

余談ですが、高原という家柄が納めていた頃の直島は非常に栄えていたというのが通説らしく、現代のタカハラである羽依里くんが世に出てから直島を訪れる人は増えているそうです。

サマポケファンとしては、羽依里くんの存在が直島を今よりさらに活気づける存在になってくれればいいなぁ、なんて思っています。


今回は直島の歴史を交えたこぼれ話でした。

またお付き合いいただけると嬉しいです。

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年末年始の島情報

  おはようございます、ご無沙汰しております。 今日はようやくある程度の情報が集まってきたので、取り急ぎのご報告。 これ以上の先延ばしは躊躇われるので、後日修正するかもしれませんがご容赦くださいm(_ _)m